イメージ画像

ヤマトトップガンと天皇賞

3歳のときに菊花賞と有馬記念を制してその年の年度代表馬に選ばれたマヤノトップガンですが、翌年の勝ち鞍は宝塚記念のみと成績は振るいませんでした。
気性面にムラがあったと言われていますが、その年の天皇賞(春)では、前哨戦の阪神大賞典でクラシック3冠馬ナリタブライアンと名勝負を繰り広げたことから、本番でも2強対決の様相を呈したものの、ちぐはぐなレースで5着に沈んでしまいました。
秋のオールカマーでも1番人気に支持されましたが、天皇賞(春)を制していたサクラローレルに完敗、有馬記念でも7着と惨敗してしまい、信頼が揺らぐこととなってしまいました。
しかし、その翌年は、阪神大賞典を1番人気で勝利して勢いに乗り、本番の天皇賞(春)ではサクラローレル、復活したマーベラスサンデーとの3強対決となりました。この時の1番人気はサクラローレルで、マヤノトップガンは2番人気でした。
前年の天皇賞(春)では騎乗に疑問符をつけられた主戦の田原成貴騎手ですが、このレースでは後方に下げて折り合いに専念し、直線勝負に出ました。
レースは最後の直線で2強が抜け出し、たたき合いとなってサクラローレルが前に出たかなと思った瞬間、マヤノトップガンがものすごい脚で一瞬にして2頭を抜き去りゴール板を駆け抜けました。この時の上がり3ハロンのタイムは34.2秒という驚異的な数字でした。その後の故障で、結果的にマヤノトップガンにとって天皇賞(春)が最後のレースとなり、その素晴らしいレースぶりから確固たる名馬の地位を不動のものとしたのです。

このページの先頭へ